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創業者物語
 
創業者のお話です。世間ではあまり有名でない会社なので、興味のないかたも多いかも知れませんが、 創業者がいてわが社があるのです。創業者 夫人の故北村ミツエさんは、当時は京の三女傑と言われるよ うな凄い女性でしたが、もともとは、何処にでもいる普通の女性でした。固い話ではありませんので、 気軽にお読み下さい。

それでは、創業者物語をお楽しみ下さい。
 
その一  一念発起
 
「ご主人、めっきといかいう仕事の方に廻してください」小柄ながら意気込みだけは誰にも負けない12才の和造少年(創業者)は、何かに取付かれたように、しつこく懇願した。

丁稚働きを転々としたあげくようやく仕事らしい仕事についたロクロ職人とはいえ、小柄で力のない和造にとっては、足踏みロクロでの引き物加工は、ともすれば、先輩たちから口汚なくののしられる材料を作り出すのみで、とても一人前になれそうにもなかったからである。一生懸命足を動かしていると手が留守になり、手先に力を入れて引き物をしていると、思うような回転をしなくなる。当時のモーターによる動力源を使用しなかった時代の話で、必ずしも和造のわがままとは思えない体力を必要とする仕事であったようである。

和造の父米次郎は、三重県上野市での代々素封家であった北村善七の次男奈良次郎の養弟となり、長女ま津と結婚するという、持参金つきの嫁取りであったが。生来の放蕩があらたまらず、和造が小学校を終える頃には、養父兄も見るに見かねて勘当同様に追い出されるはめになり、生来の三重県にも居られず、仲の良かった次男は他家の養子に出し、可愛い妹は父の生家に預けられるという悲しい離別となった。

こうして、両親に連れられて放浪の旅に出た長男和造にとっては、なんとか早く一人前の職人になりたいといういう強い一念が根ざしていた。
そして大阪へ、年を経ずして京都へと、安住の地を求めて親子3人が、淀川を伏見を三条へと船で入洛したものの、手に職のない父にとっては、一家の生計など容易なことではなくもその日から父、母、子とそれぞれ別れ別れになっての生活苦しか待っておらず、いがぐり頭の和造に京都での第一夜は呉服問屋の丁稚部屋であった。
こうして、丁稚働きを転々とし、ロクロ職人となり、そして最後にこれこそ自分の転職てあると懇願したのがめっきであった。



多感な少年期を何のむくわれもなく、ただ早く両親、弟妹達と一緒に生活がしたいという気持ちで苦労を重ねて成長した和造にとっては、思い出すのもさびしい少年時代であったのか、あまり多くを語ろうとせず、晩年、養女に迎えられる結果となった弘子(現社長夫人)を我が子以上に可愛がり、幼い頃から寝床を並べて過ごすことが多かった折々に、しみじみ語った思い出をつなぎあわせると、創業者北村和造の鍍金業との因縁をうかがうことができる。

さて、そのめっき部門で数年間を過ごした和造は、めっき職人としてようやく自信ができた頃を最後に、当時職人は方々渡り歩いて、仕事上での武者修行を積まなければならなかった時代で、またそれを数多く重ねる程ハクが付くという風評さえあったらしく、大阪、神戸、また大阪へと、技術の修得を重ねたようで、めっき職人への道を選んでから10年余り、各地で修行に励んで、再び京都の地を踏んだときには、生来のやる気と、器量で一人前の職人に成長していた。

東山二条の某鍍金工場に技能者として招かれ借家ながら一家を構えた和造は、両親の住む京都を頼って、当時既に日本髪結として立派に成人し、兄の身の回りの世話をしていたかつて、幼くして父米次郎の生家に寂しく幼少時代を過ごした妹ゆうも目を丸くするほどの稼ぎを得るまでになった。
 
その二  妻 ミツエとの出会い
 
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